十六夜日記の旅 〜前編〜

卒論のための旅である『十六夜日記』の旅に行ってきました。
作者である阿仏尼の足跡を追いながら、京都から鎌倉まで、主に旧東海道国道1号線)を辿ってみました。


スタートは京都。
京都を出る際の最初の難関は「逢坂の関」。
(所在地は滋賀県ですが…)

旅立つ人、それを見送る人、多くの出会いと別れが繰り返された関。
京都と滋賀を結ぶ交通量の多い道端に、看板もなくひっそりと石碑があるだけなので見落としそうになりました。


「定めなき 命は知らぬ旅なれど またあふさかと たのめてぞ行く」
再び逢う坂、と詠んでいますが、阿仏尼は鎌倉で亡くなった可能性が高いと言われています…


滋賀の醒井宿。中山道61番目の宿場。

街道沿いにきれいな川(地蔵川)が流れていて、ちょうどこの時期は梅花藻(ばいかも)というかわいい花が咲いていました。

「結ぶ手に にごる心を すすぎなば 浮世の夢や さめが井の水」


岐阜の墨俣一夜城。
木下藤吉郎豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられる城です。


ここに阿仏尼の歌碑がありました。

「かりの世の ゆききとみるも はかなしや 身をうき舟の 浮橋にして」
墨俣の渡舟場で非常に危ない舟を浮かべた浮橋を渡る心境を、はかない浮世の旅路にかけて詠んだのでしょう…


岐阜県の結神社。縁結びの神。
鎌倉街道沿いにあり、阿仏尼も通りすがりに立ち寄り、歌を詠んでいます。

「守れただ ちぎりむすぶの神ならば とけぬうらみに われ迷はさで」
自分の息子・藤原為相と、亡夫為家の正妻の子との間に起きた紛争を解決すべく、鎌倉幕府へ直訴するために旅をした阿仏尼…
「結び」の神に、恨みを解いてもらいたかったのでしょうか…


中山道から愛知に入って一宮へ。
真清田神社。

ここにも歌碑があります。

一の宮 名さへなつかし 二つなく 三つなき法を守るなるべし」

若いころに父親に連れられてきた一宮を、懐かしく思っているのでしょう…