0.5%の奇跡 (その1)

「…検査及びアブレーションはカテーテル位置や電位を確認しながら慎重に行いますが、稀に心臓の壁に傷をつけて穴が開いてしまうことがあります。これを穿孔といい、それによって心臓から出血し心臓と心外膜との間に血液が溜まり、心臓が圧迫されて動けなくなる状態を心タンポナーデといいます。心タンポナーデになると心臓から血液がうまく送り出せなくなるので血圧が低下し命に関わります。…」


これはわたしが受けたカテーテルアブレーションという治療の説明書の一部です。
そしてその説明書の中には、「心タンポナーデ」という状態になる危険性は0.5%あると書かれていました。
今回、この0.5%という奇跡的ともいえる確立にわたしは当たってしまったのです。
このことをブログに書くべきか正直、悩みました。
治療してくれた医師たちやカテーテルアブレーションに対する批判ととられても困ると思いましたし、これからカテーテルアブレーションを受けようとするヒトが読んで不安になっても困ると思いました。
何より、今回のことが想像以上にわたしの心に深いキズとなって残ってしまいました。
今もその時のことが繰り返し思い出され、頭の中をグルグルとしています。
でも、このわずかな確立であるからこそ、そしてわたし自身もこのことから1日も早く立ち直るためにも残しておいたほうがいいのかもしれない…と思い書くことにしました。
最初に断っておきますが、医師を含め今回の治療をしてくださった医療スタッフのみなさんを責めたり、カテーテルアブレーションの治療を批判する気持ちは全くありません。
危険性をきちんと説明してくださり、そのことを承知の上でわたしは自分の意志で同意書にサインしたわけですから。
それに不整脈の治療自体はうまくいきましたので、とても感謝しています。


それでは、カテーテルアブレーション当日から振り返りたいと思います。


カテーテルアブレーション当日〉
午後からの予定だったので、朝食は普通に食べました。ちなみに昼食は絶食です。
翌日退院できますが、丸1日髪を洗えないのはイヤだな…と思い、午前中に洗髪だけしに行きました。
昼前には夫とともに母も来てくれました。
「何もすることないし、すぐに退院するんだから来なくていいよ〜。」と言っておいたのですが、わざわざ東京から来てくれました。
12時を過ぎるといよいよ準備です。
検査着に着替え、T字帯をつけ、尿管カテーテルを留置されます…
これがイヤだったんですよね(-"-;A ...
看護師さん:「細〜い管を痛くな〜いように入れますからね〜。」
わたし:「うそつけ!! どう見たって16Frだろっ!! (-_-メ;)」←(注:心の叫びです)
で、やはり痛かったです…(ノ_・。) 
流出確認のためお腹もグイグイ押されて、お腹まで痛くなって一気に弱気になりました( *・_・)( *..)( *_ _)
準備終了後、夫と母に見送られ造影室へ…
造影室に向かう時、わたしってこんなに小心者だっけ??と思う程急にとてつもない不安と恐怖に襲われました。
造影室に入るとびっくりするくらいたくさんのスタッフたちがいました。
造影室内には10人くらい、外のモニター室などにも数人いました。
心臓の病気となると、当たり前ですがいつも胸を見られることになるワケで…(。_。*)
それは女性にとってはやはり苦痛で、見られる人数が多くなるほどさらに辛くなります…
心電図の電極やら対極板やらを身体に貼られます。
それらの準備が終わると、先生が来て消毒を始めました。
消毒が終わると滅菌シートを被され、カテーテルを入れる部位(右ソケイと左サコツ)に局所麻酔をし、カテーテルが挿入されていきます。
局所麻酔をしたとはいえ、カテーテルを入れるときの痛みはありました。けっこうな痛みを感じていたはずですが、焼灼の痛みがあまりにも強かったので、そのときの痛みは正直忘れました。
身体を串刺しにされるような何ともいえない不快な感覚もありました。
モニターを見たかったのですが、残念ながらわたしからは見えませんでした。
カテーテルの挿入が終わると、強制的に心拍を上げたりしながら不整脈を起こしている部位を探し始めます。
動悸を激しく感じ、苦しく、何ともいえない不快感があります。
そして部位が特定されるといよいよ焼灼が始まります。
多少熱く感じるくらいだと考えていましたが、耐え難い痛みに襲われました。
心臓の中から喉にかけて焼き上げられるような強烈な痛みがありました。
あまりに痛くて声も出ず、涙と汗が溢れてきました。
1回の焼灼時間が1分間もあり、それが何度も繰り返されます。
わたしの頭側にいた若い医師が「大丈夫ですか?」「痛かったら痛いって言っていいんですよ。」「我慢しなくていいですよ。」と時々声をかけてくださったり、涙を拭いてくださったりしました。これはとてもありがたかったです。
その若い医師が術者の医師に「患者さんの痛みが強いようです。」など時々報告してくださり、2度ほどソセゴンを静注してくれました。
ちなみに1度目は1Aで2度目は1/2A使用しました。
でも、さほど効果は感じられません。
熱湯を素手で触るか、薄いゴム手袋をはいて触るかくらいの違いしか感じられませんでした。
焼灼はどんどん続きます。造影室に入ってから4時間くらいが経過した頃だったでしょうか…医師に「不整脈がだいぶ減ってきましたからね。」と言われました。
それからまもなくだったと思います。
相変わらずの激しい焼灼の痛みに耐えている時、身体の中で「プチッ」という音と感触がありました。
わたしの身体の中でものすごく良からぬことが起こったと感じました。
その瞬間からどんどん意識が遠のいていきます。
「○○さん!! 大丈夫ですか!!」
聞こえはしましたが、もう声を出すことはできません。身体中の力や感覚が急速に抜けていきます。
「心タンポだ!! 心タンポだ!!」「心マ!!」「挿管!! インスピロン!!」「外科とオペ室に連絡!!」「MAP準備!!」
造影室内は騒然となっていました。
遠くに聞こえるそれらの言葉を聞きながら、「みんな大変だな… 可哀想に… オペ室だってこんな時間から手術なんて大変だろうに… でももう手術なんてしないで… もうこのままでいいから… MAPってクロスマッチの採血していたっけ…」なんてことを考えていました。
交通事故に合ったヒトが、車にぶつかって飛ばされている間スローモーションのようになる…ということを聞いたことがありますが、まさにそんな感じだったのでしょう。
急速に意識が薄れていったのですが、そのわずかな間にいろいろなことを考えたのです。
そして、意識がなくなる直前「ああ…わたしはもう死んじゃうな… ○○(夫の名前)ごめんね… お母さんもせっかく来てくれたのにごめんね…」と思いました。
再び呼びかけられて目を開けた時には挿管チューブが挿入されていました。
それがあまりにも苦しくて、訴えたいのに声は出ません。
頭を振ったり、動かしちゃいけないとわかってはいましたが、右手ならちょっとは大丈夫だろうと思い右手を少し挙げました。
すると誰かが手を押さえたのですが、わたしは恐怖と苦しさでその手を強く握りました。
「チューブが苦しいようです。」「誰か手を握ってあげて。」「鎮静かけて。」この言葉が造影室で聞いた最後の言葉です。