0.5%の奇跡 (その2)

カテーテルアブレーション翌日〉

目を覚ましたときにはICUで呼吸器につながれていました。
確か朝の6時頃だったと思います。
「わたし… 生きてるんだ…」
挿管チューブが苦しくて仕方ありません。
胸の辺りも痛みます。
手を動かそうとしましたが動かすことができず、抑制されていることがわかりました。
顔などがかゆくて不快なのですが、抑制されているので掻くこともできません。
声も出せないのでどうすることもできません。
もう意識は戻ったし、挿管チューブやドレーンを自分で抜くなんてことしないから抑制をはずしてほしい…
首を振ってみたり、呻いてみたりすると、「痰つまったかい?」と言われ、吸引されました。
「違う!! 吸引なんかしないで!!」
首を振ったのですがわかってもらえません。
挿管チューブから吸引されることがこんなにも苦しいとは思いませんでした。
自分の思いを伝えることは不可能だとわかり、こうなったら自分で何とかするしかないと思い、自力で抑制帯をはずしました。
そうこうしているうちに医師が来て、呼吸器を自力に切り替えました。
「がんばって息してね。そうじゃないとチューブはずせないからね。」と看護師さんに言われました。
挿管チューブが入った状態では、苦しくて思うように呼吸もできません。
すぐにブザーが鳴って「はい、がんばって呼吸して!!」と言われます。
「こんなチューブが入っているから呼吸しずらいんだよ… はずせば普通に呼吸できるから…」心の中で叫びながら、涙が出そうになりました。
がんばって呼吸していればすぐにチューブがはずれると言われますが、その「すぐ」がどのくらいなのかわかりません。
とにかく苦しくて、1秒でも早くチューブを抜いてもらいたいのです。
その「すぐ」とは5分なのか10分なのか30分なのか… あとどのくらい耐えればよいのかわからないのがよけいに苦痛でした。
やっと抜管するとなったときは心底ホッとしましたが、その抜管が苦しいのなんのって…
抜いた後も喉が焼けるように痛く、声もかすれてほとんど出ません。
抜管後に右ソケイと左サコツのカテーテルも抜いてくれました。
胸にはドレーンが刺さっています。どうやらオペはしなかったようです。
医師から「どこまで覚えていますか?」と聞かれました。
「挿管チューブが入ったあたりくらいまでです。」と答えました。
わたしが意識を失っている間、医師たちは本当に大変な思いをしていたんだろうな…と思いました。
そして、家族のことが気になりました。
当然のことながら、もうこの状況はわかっているはずです。
ICUの面会時間は11時からで、そのときに家族が来てくれると教えてくれました。
頭の上にモニターがあることがわかり、見てみるとキレイな波形の心電図が見えました。
血圧は低いけれどいつもの値、SpO2も問題ありません。
不整脈は治ったのかな…」
挿管チューブがはずれてだいぶ苦痛は減りましたが、今度は身体を自由に動かせないことが苦痛になってきました。
看護師さんの介助で少し横を向いたりなどはできますが、カテーテルが入っていた右ソケイは動かしてはダメですし、心臓にもドレーンが入っているので大好きなうつぶせ寝なんてもちろんできません。
普段寝ている間も大きく動き回ってしまうわたしなので(つまり、恐ろしく寝相が悪いってことなんですけど(゚ー゚;A…)、じっと寝ているというのは苦痛でした。
自分では何をすることもできないので、すべて看護師さんの手をかりなければいけません。
忙しい看護師さんを呼ぶのは気が引けるので、自分でわずかにお尻をずらしたりしながら気持ちを紛らわしていました。
11時が過ぎて「○○さんのご家族の方がみえました。」という声が聞こえ、夫と母親が来てくれました。
すごく嬉しかったです。
もう2度と会えないと思いながら意識を失ったのに、またすぐに会えることができたのですから…
話したいことはいっぱいあるのに、なんだか頭も回らず、看護師さんたちもいることもあってうまく言葉が出てこなかったように思います。
ゆうべ、ランニングチームの仲間たちがわたしの好きなスイーツをたくさん持って来てくれたこと、でもこんなことになり会うことができず、とても心配してくれたことを教えてくれました。
面会の制限時間である30分はあっという間に過ぎ、夫は仕事、母は東京へと帰っていきました。


こんな感じでカテーテルアブレーション翌日は、ICUで寝たきり、全介助で過ごしました。